ガイディングライト

ガイディングライト 短編小説

季節は春。

僕には弟がいて、僕も弟もそれぞれ東京で一人暮らしをしている。

僕らはたぶん仲の良い兄弟だ。

その証拠に週一度は二人で夕食をとる。

僕らが一緒に暮らさないのは、お互いに{ある程度の距離を保ち生活した方がいいのではないか}という考えがあるからだ。

僕らなりにお互いを尊重しているわけだ。

少なくとも僕はそう思っている。

僕は、いわゆるサラリーマンで

弟は大学生、音楽サークルで歌を歌ったりもしてるらしい。

大体金曜日の夜に弟の誠から電話が鳴る。

そんなわけで、あの日の夜かかってきた電話がいつもと違う目的だったことには

すぐに気付けなかった。

仕事で疲れた体を抱え、家路につく。

街並みは、疲れてる人や、騒いでいる団体やらでごった返していた。

その景色を見て、今日が週末であることに気付く。

ふいにポケットに入れている携帯電話が鳴った。

見ると誠からだ。

「もしもし。」

「あ、兄ちゃんお疲れ。」

「おう、お疲れさん。どっかで飯食うか?」

「そうだね。行こう。」

「じゃこの間行った駅前の店でいい?」

「そうしよう。じゃまた後でね。」

電話が切れる。

僕は携帯をポケットに戻し、待ち合わせの店に向かった。

待ち合わせた店に入ると週末ということもあって店は混み合っていた。

少しの間席を見渡す。奥の方で誠が笑顔で手を挙げる。僕も手を挙げ、誠が座る席へ向かう。

すると、誰かと同席していた。「あれ?一人じゃなかったのか?」

「兄ちゃんこちらは…」

紹介しようとした誠の言葉を遮り、スーツ姿の男は話す。

「はじめまして。私は河野と申します。」

僕に頭を下げ、名刺を差し出した。

”日光製薬 商品開発部 河野和弘”

僕も名刺を渡し挨拶をする。

「あ、どうも…。兄の信一です。弟がお世話になっています。」

「いえ、実は誠さんとお会いしたのは今日が初めてなのです。」

「え?」

てっきり知り合いを連れて来たのかと思い込んでいた僕はあっけにとられてしまう。

そんな僕のことは気にせずに彼は続けた。

「まだお話を伺ってないようですね。ではご説明致します。」

「あ、ちょっと待って下さい。誠、もしかしてバイトの話?」

最近、誠がバイト探しをしていたことを思い出した。

僕が問いただすと誠は少し気まずそうに話す。

「…実はそうなんだ。日雇いみたいなものだから、兄ちゃんにも手伝って欲しくてね。

週末なら平気でしょ?」

「また行き当たりばったりで…お前そういう話は前もってしろよな。」

誠は基本思いつきで行動する人間で、僕自身巻き込まれたことも少なくない。

少し気まずそうに謝る。

「ごめんね…こんなに急な話だと思わなくてさ。」

腹を括った僕は河野に目を向け、

「分かりました。とりあえず話聞きます。」

河野は終始無表情のまま、小さく頷いて話し始めた。

「お二人には、あるものを取りに行って頂きたい。

報酬はそれに見合った金額をご用意致します。」

「お仕事の内容は、こちらです。」

機械的な文章を打ち込んだ用紙を渡す。

「新しい自分になれる薬?何ですかこれ…」

僕は唖然して河野に尋ねた。

「その名の通り、全くの新しい自分になれる薬です。最近は自殺志願者が後を断ちません。

そんな中で我社が開発した薬がこれです。

この薬を飲むと記憶の一部が消滅し、同時に別の記憶が入ります。

つまり、自殺したい人にとってはうってつけの薬なのです。」

河野は鋭い目付きで僕を見ながら、話を続けた。

「ただし、この薬は市販されているものではありません。

薬としては問題ないのですが、認可されず倉庫にしまわれています。」

「でそれを取りに行くのが…」

「そうです、お二人の仕事です。」

僕と河野のやりとりを横で聞いていた誠が言う。

「ちょっと待って下さい。そんな危ない仕事とは聞いてませんよ。

それにあなたの会社の倉庫なら、自分で行けばいいじゃないですか。」

河野は誠に鋭い目を向け答えた。

「そのお話に関してはお聞きにならなかったので、こちらとして話す義務はありません。

それに危険かどうかを判断するのはあくまでもお二人です。

私のご説明通り行動して頂ければ簡単な仕事です。

あと、私は訳あって倉庫には入れません。

こんなところでよろしいですか?」

ムッとした顔で誠は河野を睨んでいる。

僕は軽く溜息をつき、

「あなたの言い方だと…我々が断るという選択肢はなさそうですね。」

「お二人は多数の応募者の中から選ばれました。むしろ喜ぶべきだと思いますよ。

今私の説明を聞いた時点で、どんな事情があろうともお仕事をして頂きます。」

随分と面倒なことになったが、話を聞く限り何とかやれそうだし拘束されるのは一日だけだった。

そんな訳で僕らは仕事を引き受けることにした。

「当日はこの中にある作業着で来て頂きます。

我社の倉庫に着きましたら、うちの社員からカードキーを受け取って下さい。

その後の流れは、詳しくこちらに書いてありますので。」

河野は紙袋と封筒を差し出した。紙袋を覗くと確かに作業着が二着入っている。

「この封筒は機密文書ですので、当日薬と一緒に私に返却して下さい。

万が一、外部に漏れるようなことがあればお二人はかなり危険な目にあうということをお忘れなく。それでは来週土曜日お待ちしております。」

河野は話し終えると{これ以上もう用はない}というような、

冷たい目をして席を立ちそのまま行ってしまった。

河野が座っていた空間には妙な違和感が漂っていた。

「兄ちゃん…本当ごめんね。今日は話だけの約束だったのに…こんな話になっちゃって。」

誠は申し訳なさそうに話す。「う~ん、まぁ仕方ない。とっとと片付けちまおう。」

そのあと少し二人で食事をとり別れた。日光製薬…河野ずっと何かが胸につかえていたが、

家に着いてすぐ思い出した。

僕は引き出しのカードケースをあさる。

「これだ…」

日光製薬 営業部 水嶋大祐

何年か前に会社の打ち合わせの時にもらった名刺で、

そのあと二人で酒を飲みに行ったことを思い出す。

名刺の裏には携帯電話の番号が手書きで書いてあった。

翌日、早速名刺に書いてあった携帯電話に連絡をしてみる。

「はい、水嶋です。」

「ご無沙汰してます。渡辺と申し…」

「ただ今電話に出れません。発信音の後にメッセージをお願いします。」

本人の声で録音されたメッセージに思わず反応してしまった。

戸惑いながら、メッセージを残す。

「ご無沙汰しております。渡辺信一と申します。また改めてご連絡致します。」

留守電を入れるのは、いつも緊張する。

バンドでステージをやってる誠は、緊張なんかしないんだろうなぁ。

そんな風に考えていたら、電話が鳴った。

「はい、もしもし。」

「水嶋と申しますが、渡辺さんの携帯電話でお間違いないですか?」

「あ、はい。」

そう返すと、急に安心した声になり再び話始める。

「いやぁ渡辺さん、本当久しぶりですね~。なかなか連絡できずにすみません。

お電話頂き嬉しいですよ!お元気ですか?」

彼は人情があって優しい性格の男だ。

体もガッチリとしていて身なりには常に気を使っていた。

そんな姿を思い出しながら話し続ける。

「おかげさまで。こちらこそ、連絡できず申し訳ありません。

水嶋さんもお元気そうで何よりです。」

「いやぁ、元気だけが取り柄ですからなぁ。で、何か私に用事がおありでしたか?」

「実はお聞きしたいことがありまして…あの、日光製薬に河野さんって方いらっしゃいますよね?」

「河野…ですか?知りませんね…。うちは小さい会社ですから、

部署が違っても顔と名前は覚えてるんですが。何かあったんですか?」

「あ、いや。聞き間違えたのかもしれないので、確認してみます。

お忙しいところすみませんでした。」

「いえ、とんでもないですよ。いつでも連絡下さい。また飲みにでも行きましょう。」

…やっぱりおかしい。

河野って何者なんだ。

僕は気になって仕方なかった。

例の仕事まであと一週間と迫っていたある日。

河野から突然連絡があった。

「渡辺信一様、申し訳ありません。予定が変更となりました。

明日木曜日午前9時に我社の倉庫まで来て下さい。

時間厳守でお願い致します。」

急に予定を変えられても僕には仕事がある。

慌てて答えた。

「え?明日?無理ですよ。約束は土曜日のはずですよね?

明日は会社に行かないと…」

僕の言葉を遮り、河野は続ける。

「申し訳ありませんが、よろしくお願いします。」

言い終えるとすぐに電話は切れてしまった。

僕はため息をついて電話を置く。

無視しておこうか迷ったが、何だか面倒なことになりそうだったので

とりあえず言われるがままにスケジュールを何とか調整した。

その後すぐに誠に連絡をすると、

「あ、兄ちゃんお疲れ様。河野から連絡あった?」

「あったよ。そっちにも連絡いったの?」

「来たよ。言いたいことだけ言って一方的に切りやがった。」

誠二は苛立ちを抑えながら話した。

僕は小さく溜息をつき話す。

「じゃとりあえず明日だな。

日光製薬の倉庫は電車じゃ不便だから車でいこう。

明日8時にこっち来れる?」

「大丈夫。」

「それじゃ明日。」

「あ、ちょっと待って。」

「ん?」

「今回の件本当にごめん…」

「もういいって。でも今後はもうちょっと前もって話してね。」

「そうだよね…」

「明日は疲れそうだから、早めに寝なよ。」

「そうするよ。じゃまた明日。」

「おやすみ。」

その後僕は眠れずにいた。ぼんやりと天井を見ながら考え事をする。

嫌な予感がずっと離れないままだ。結局そのまま朝を迎えてしまった。

そして

まるで当てにならない僕の嫌な予感は

残念ながら的中することになる。

翌朝、僕ら二人は作業着で日光製薬の倉庫に到着した。

基本的に倉庫周辺には人気がなく、

ガランとしていたので車を適当に停めて倉庫入口へ向かう。

黒いスーツに身を包んだ男が待っていた。

「渡辺信一様、誠様でございますね?」

僕らは黙って頷く。

「本日は誠にありがとうございます。こちらが河野より預かっておりますお荷物です。」

小さな箱を渡され、中を開けるとカードキーが入っている。

「お仕事の流れはご理解頂いてますでしょうか?」

黒服の男は無表情のまま話した。

「はい。」

僕はこの薄気味悪い男とできるだけ関わりたくなかったので

手短に返事を返した。

誠も同じような気持ちらしく、黒服の男には目も向けない。

「さぁ行こう。」

誠が手袋をつけながら言った。「あぁ行くか。」

そう答えながら、僕はカードキーを改めて確認してみた。全部で5枚入っていて、番号が印字されている。

入口のカードリーダーに書いてある番号と合わせてカードキーをかざすと、

ピピッという短い電子音が鳴り扉が開く。中に入ると電気はついているが、誰もいない。

ただひたすら無機質な空間が広がっている。

前もって頭に入れておいたルートを進み、順調に扉を開いてゆく。

最後の扉を開くと中は薬の保管庫らしく、小さなロッカーのような形になっている。

指定されていた番号に暗証番号を合わせ、小さなジュラルミンケースを取り出し扉を戻した。

{大丈夫。指示通りだ。}

そんな意味を込めて誠を見ると、意味を理解したように頷いた。

その瞬間、突然サイレンのような爆音と共に赤いライトが点滅した。

「何なんだ?」

僕がふいに声を出すと、誠は平静を保ち言う。

「やばいね、とにかく早く出よう。」

二人で来た道を全力で走る。

誠は入口方向に向かっている。

河野の指示では出口は逆だ。

「そっちじゃない、出口は裏だ。」

「ごめん…」誠は急いで戻って来る。

しばらく走ると最後の扉が見えてきた。

「あれだ!」

僕は誠に言った後ですぐに、誰かが立っていることに気付く。

「河野だ…。」河野は僕ら二人に早くから気が付いていたらしく僕らを見ている。

後ろには、さっきの黒服の男が立っていた。

「お二人様、ご苦労様でした。さぁ薬を戴きましょうか。」

僕は戸惑いながら返す。

「話では、裏口を出たところで引き渡しだったはずですが。」

無表情のまま河野は続けた。

「少々事情が変わりしてね。外の音聞こえますか?」

倉庫内のサイレンの中、耳を澄ますと

パトカーの音と、拡声器で叫ぶ警察官らしき声が聞こえる。

「警察?」

「そういうことです。この建物は警察に囲まれています。

もう少しだったんですがね…まぁいいでしょう。薬を渡して下さい。」

僕が何か言い返そうとすると、誠二が河野に言う。

「いや渡せません。約束通り、外で渡します。」

「あなたは状況が分かってないようですね。」

河野は表情一つ変えず、誠に何かを向けた。

銃?

気付いた瞬間に僕は誠を突き飛ばした。

強烈な痛みと共に僕は訳も分からないまま倒れた。

右肩を撃たれたらしく、痺れで体が上手く動かない。

痛みで気が遠くなりそうだ。

誠は茫然としている。

「さっさと薬をよこせ。」

河野は今まで見せたことのない鋭い目つきで誠を見ていた。

その時、警察官が一気に突入してきた。

「そこまでだ!動くな!」

僕らは警察に囲まれている。

河野は動揺した表情を浮かべたまま言った。

「なんで…、入って来れた?」地下室があったらしく、いつの間にか地下へ続く階段が表れている。階段から誰か上がってくるのが見える。

姿が見えた所で彼は話し始めた。「西田、お前いい加減にしろ。」

僕がこの間電話で話した水嶋だった。

「西田?」

その時ようやく、河野が偽名であることに気付く。

河野は水嶋を睨みながら話した。

「水嶋か、久しぶりだな。従順なサラリーマンが何の用だ?」

「もう終わりだ。その危険な薬を何に使うつもりか知らんが、俺がこれから処分しておくよ。」

そのまま包囲された警察官に捕まり、連行される河野。

「てめぇ、許さねぇぞ。」

水嶋へむけて終始悪態をつく。

僕は、誠と警察官数人に抱えてもらい、パトカーの後部座席に乗せてもらう。

水嶋は本当に申し訳なさそうに頭を下げて僕に言った。

「渡辺さん…遅れてすみませんでした。あいつはうちの会社内の疫病神でして…

よく問題を起こし最近解雇された社員です。

先日渡辺さんからお電話頂いて、気になったから来てみたら。

予想通りでした。本当に何とお詫びしたらいいか。」

僕は朦朧とする意識の中で返す。

「水嶋さんが謝ることではないです。来て頂けなかったら僕ら二人とも駄目だったでしょう。

本当にありがとうございました。」

誠も水嶋に頭を下げている。

「あ、水嶋さん。あの薬って何だったんですか?」

僕はどうしても気になったことを水嶋に尋ねた。

水嶋は言いづらそうに話す。

「あれは・・・特殊な薬としかお伝えできません。悪用されると大変危険なものです。

明日処分する予定だったのですが、私がすぐに責任持って処分します。」

僕はそのまま病院へ担ぎ込まれた。

幸い傷はそれ程深くなく、傷が塞がれば問題なく退院できるようだ。

翌日、誠は警察の事情聴取から戻ってきた。

水嶋さんが上手く入ってくれたようだ。

それから誠は数日間、かなりの時間を僕の病室で過ごしていた。

長い時間をかけて本当に色々な話をして、中には初めて聞くような話もあった。

僕ら兄弟はよく理解し合っているつもりだったが、そうでもなかったのかもしれない。

これからは深く解り合えるように思う。

それはおそらく誠も同じだろう。

「兄ちゃんがこんな時に不謹慎かもしれないけど、今新しい曲の歌詞を書いていてね。

興味ないかもしれないけど完成したら聴いてもらいたいんだ。」

「もちろんいいけど、俺には音楽のことよく分からないよ。」

「大丈夫だよ。兄ちゃんを思って書いた曲なんだ。」

「なるほど、恥ずかしいな。でもそういうのダサくならない?」

「そんな言い方しないでよ。聴いてから判断して。」

「ごめんごめん。それもそうだな。でも嬉しいよ。」

そのまましばらく話続け誠は席を立った。

「じゃそろそろ行くね。また明日来るよ。」

「そんなに毎日来なくて大丈夫だから、ちゃんと大学行けよ。」

「大丈夫。大丈夫。」

「ならいいんだけど。」

「このノートにさっき話した曲の歌詞書いてあるからさ、読んでみてよ。

明日にでも感想聞かせてくれる?」

誠はノートを手渡す。

「今読んだらダメなの?」

「恥ずかしいから後で呼んでよ。それじゃ。」

「ああ、ありがとう。おやすみ。」

一人になった病室でノートを開いてみる。

暖かい言葉で書かれた良い歌詞だ。中でも僕はその中の一節がとても気に入った。

”繋いだ心とかざした手は悲しみ隠した暖かい光”

音楽もなかなか悪くないかもしれないな。

そんなことを考えながら

僕はその曲の歌詞を何度も読み返していた。

タイトルとURLをコピーしました