AM4:30

AM4:30 短編小説

ドッペルゲンガーという言葉をご存知だろうか?

世界には自分の生き写しのような人間が3人いると言われている。

僕の奇妙な体験を記そうと思う。

僕の名は黒沢という。

30歳となった5月、長年付き合っていた女性と結婚をした。

仕事は忙しかったが、僕らは上手くやっていたと思う。

家事も分担したし、夫婦の会話も絶えることはなかった。

だが数年後、それはあくまで自分の独りよがりだったことに気付くことになる。

夫婦生活が5年になろうかという頃、

妻は何の前触れもなくいなくなってしまった。

それから僕は抜け殻のようになってしまった。

誰かが僕に話しかける。

僕は応える。

また誰かが僕に話しかける。

僕は応える。

まるで他人みたいに自分を感じている。

僕は僕を演じている。

ヘラヘラと笑っている。

僕は心から人に優しく接したかった。

でも、悲しいことに他人は他人で。

僕の利用価値がなくなると、みんな離れていった。

そして、

僕は、

一人ぼっちになったんだ。

1999年夏

リノリウムの床に革靴の音が響く。

僕は一人歩いていた。

エスカレーターを乗りながら、横を眺めると自分の姿が見える。

僕は酷い顔をしていた。

いっそ何もかも投げ出してしまいたい…。

遠くに行きたい…。

そんな風に考えていた。

ぼーっとエスカレーターに乗っていたら、やけに違和感を感じる後ろ姿を見かけた。

“何だ、この違和感は…”

そのままなんとなく追いかける。

ちょうど電車が来ていた。

間一髪、間に合わない。

“奴”の顔が見えた。

彼は、僕自身。

同じ顔をして、疲れた表情を浮かべていた。

そして…こちらを見ていた。

“いかんな、疲れが溜まってる…今日は早く寝よう”

その時は気にしないようにそのまま帰宅。

泥のように僕は眠った。

数ヶ月後、ふいに上司に声をかけられた。

「黒沢、ちょっといいか?」

「はい。」

「最近疲れてるんじゃないか?」

「え?そんなことはありませんが…何かご迷惑おかけしましたでしょうか?」

意味が分からず聞き返すと、言いにくそうに話を続けた。

「実は君の不審な行動の報告が多くてね。」

「不審な行動…ですか?」

「電車の中や、パチンコ店で他の客とケンカをしてる場面を見た社員がいるんだが。

身に覚えはないか?」

僕は唖然として話を聞いていた。

そもそもギャンブルには一切興味がないし、ケンカなんて生まれてこの方したことがないのだ。

僕は慌てて上司に言葉を返した。

「いや、絶対別人です!ケンカなんてしてませんし、それに僕はギャンブルはやりません。」

「そうか、ならいいんだ。もちろん君を信用してない訳じゃないんだが。

一人や二人じゃないもんだから気になってな。すまなかった。」

「いえ…では失礼します。」

僕は頭を下げ、デスクに戻る。

話を聞きながら、何かが引っかかる。

“もしかしてあの時ホームで見かけたあいつか?あれは見間違いじゃなかったのか?

”それからというもの、明らかに他の社員からの目が変わってしまった。

疑うような、軽蔑するような目で僕は見られているような気がしていた。

一度トイレに向かう途中、他の社員同士の会話が聞こえてしまった。

「…だよな、マジで。」

「黒沢の奴見かけによらず、キレやすいんだな。

電車でぶつかっただけなのに相手ボコボコにしてたぞ。

引いちゃったよ。かなり目がやばかったな。」

「あいつ相当猫かぶってんな。あんまり関わらないほうがいいな。」

僕はすぐに否定しに行きたかったが止めておいた。

きっと無駄だろう。

やがて、精神的に追い詰められた僕は…辞表を出した。

蓄えはそれなりにあるからしばらくは何とかなるだろう。

会社を辞めてからというもの、すっかり引きこもりの生活を続けていた。

辞めたきっかけは例の噂だったが、もともと張り切って働いていたわけではない。

むしろ、”何の為に生きてるんだ”

いつも自分に問いかけながら生きていた。

正直、どうでもよかったんだ。

そんな何もない毎日を過ごしながら

僕はまた”奴”に会ってしまった。

ある日の夜、家に向かって歩いているとチンピラ風の男が正面を歩いていた。

あまり気にせずすれ違おうとする。

その瞬間腕で首を抑えられ、無理矢理裏の路地に引きずり込まれた。

凄みながらチンピラ風の男は言う。

「おい、金出せ。」

こういったことに慣れていないせいもあり、僕の鼓動は早くなっていた。

ポケットに手を突っ込みジャリジャリと音をさせて凄んできた。

男の目は血走っている。

無職の自分としては、現金を渡すわけにはいかない。

“こういう面倒事はごめんだ。隙を見て逃げよう。”

そう考えて様子を見ると男の後ろに人影が見えた。

“ヤバい。流石に二人いたら逃げられないな…”

そう考えた瞬間、人影は後ろからチンピラに殴りかかった。

「何だ!てめ…」

言い返す隙も与えず人影は無言でチンピラを殴り続ける。

一瞬我を失っていたが、チンピラが意識を完全に失ったことに気付き

慌てて止めに入った。

「ちょ、ちょっとこれ以上はヤバいって。」

無理矢理チンピラから人影を離した瞬間、違和感が。

鏡でも見てるのか、寝ぼけてるのか…

その人影は僕そっくりの男だった。

”奴”だった。

目が合うと少し微笑みを浮かべて彼は言った。

「お前甘いな。こんなゴミはこのくらいやんなきゃダメなんだ。

それにこんな程度じゃ死なん。」

そう言い残して彼はいなくなった。

声まで自分とそっくりだった。

僕はただ唖然としてしまい、何も言えないまましばらく動けずにいた。

僕は前に見かけた自分そっくりの男のことで精神的に弱ってしまい、

すっかり外出や人と会う機会も減ってしまった。

心配してくれていた社長から久しぶりに電話があり

「人を欲しがってる会社があるから、まだ仕事決まってないなら連絡してみたらどうだ?」

と会社を紹介してくれた。

なんとなく、返事をしながら電話を切る。

気持ちはありがたいが僕はもうすっかり自分に自信を無くしていた。

ある日の眠れない夜、新宿ゴールデン街を抜け神社で体を休めた。

自動販売機でアイスティーを買いベンチに座って一気に飲み干す。

俯きながら空き缶を握りつぶし溜息をついた。

その後、目の前に人の気配を感じる。

ふと前を見ると”奴”が立って僕を見下ろしていた。

僕は感情を欠いた目で問いかける。

「お前は…誰なんだ?」

奴は言い返す。

「俺はお前自身だよ。つまりお前は俺なんだ。まだ分からないのか?

本当情けねぇな。そうやっていつまでも逃げ続けるのか。

大体お前今まで死ぬ気で何かやったことあるか?ないよな?

ずっと逃げ続けて、自分を甘やかしてきたんだからな。」

僕は頭にきて言い返した。

「うるさい!元はと言えば全部お前のせいだ。」

言い切るのも待たずに奴は言う。

「いや、お前は弱すぎる。そのままだと俺はお前の体を乗っ取っちまうぞ。」

一瞬ゾッとしたが、そんな姿を見て彼は笑いながら言った。

「嘘だ。そんなことはできない。…というか俺はお前が作った幻想だ。心配すんな。

いいか、何事も死ぬ気でやれ。絶対に手を抜くな。」

遠くを見ながら彼はさらに言った。

「まぁでも…お前はもう大丈夫だよ。俺はもう必要ないな。まあ達者でやれよ。」

夜明けの神社、気付くと僕は1人だった。

柔らかな陽が射してくる。

僕はだるい体を起こし、光の射す方へと一歩ずつ歩いていく。

今まで知らない間に諦めたり、妥協するクセがついてしまってたかもしれない。

僕は僕自身に負けるわけにはいかない。

今もこれから先も。

きっと奴はこういうことを伝えに来たんだろう。

“全てはこれからだ”

僕は強く自分に言い聞かせながら、夜明けの新宿の街を一歩ずつ踏みしめて歩き出した。

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